俺のインターハイ。
私の人生で初めてのインターハイは高校3年生のときである。
為末さんはこう書く。
俺も思い出してみよう。
懐かしいなー!
インターハイ、ホントに憧れたもんや。
俺の様なおっさんの時代でも夏の甲子園に似て、
バスケットボールで全国を目指している選手達はインターハイが目標で頂点だった。
俺の初めてのインターハイは2年生の時だった。
1年生の時にも先輩達はインターハイ出場した。
準々決勝までいったが東京のチームに負けている。
強いチームだったから1年生のヘタクソ達は(俺の事だけど)
地元待機で開催会場までも行けなかった。学校の体育館で練習していた。
今のようにウェブもないし情報なんか何も入らない。
なんか力が入らない練習だった。
当然だろう。
残された者たちは、今アンタ達はヘタよ、しっかり練習して上手く何んなさい。
そう謂われいるのだから。
1戦2戦とつなぎだったけど試合に出た。
しかし3戦目は出しても呉れなかった。試合も負けた。
相手は東京の強豪校優勝チームだった。
腑に落ちないのは、前日まで俺は6番目7番目の選手だったんだ。
それが他の控え選手が殆ど出ているのに俺だけ出られない。
ナニ、どうしてだ。
俺にはさっぱり原因が判らなかった。
前日に監督の意にそぐわないヘマがあったとしか、、、
とにかく、干されたのだから上手くなるしかない。
その為には、練習だ。
明くる日の朝、旅館を抜け出して、近くの学校のグランドで走り込みや何かを
汗だくになるまでやった。
その日にチームは荷物をまとめて鈍行列車に乗り
青森から京都まで30時間かけて帰った。
信じられる丸一日と6時間汽車に乗り試合をするんだよ。
停車時間の長い駅では降りてパスをしたり走ったり大変だった。
笑えるだろ!昔はこうなんだみんな。
しかし帰りの俺は、悶々と長い30時間だった。
これが一つの俺のバスケットボールにおけるターニングポイントだな。
優勝する意気込みでやって来た。
しかし準決勝で優勝したチームに2点差で負けた。
悔しかった。終盤5ファールで退場した俺は頭からタオルを被り、
頭はボーとして今風に真っ白になっていた。
明くる日3決があったが全然やる気がなかった。
モチベーションなど何処からも起って来なかった。
試合は簡単に勝ったが又5ファールで退場した。
この時すべて終わったと思った。瞬間涙がうわっと溢れて来て泣いた。
試合終了までベンチで泣いていた。
これが俺の高校3年間のインターハイである。
勝敗より自分の限界に挑めたか/爲末大学1 - 高校総体2014ニュース : nikkansports.com